氷高颯矢
セントゥル学園の新3年生は春休みの終わる前には中の島に戻らなければならない。何故なら、引越しに時間がかかるからだ。入学した時のように業者が荷物を運んでくれる事はなく、全て自分たちで行わなければならない。家具はほとんど作り付けだったり、予めそれぞれの部屋に合わせて用意されている。問題は衣類や小物、教科書などの書物などだ。1〜2年生の内は6人で部屋を使わなければならなかったが、3年生からは2人部屋になり、卒業まで部屋の移動は基本的にはない。その理由は、誰と住むのかをある程度自分たちで選べるからだ。
普段は使わない体力を使わされて、フィスはさすがにベッドに伏した。
(疲れた…。自分の責任とはいえ、もう少し本は処分しておくべきだったな…)
本棚にずらりと並べられた本の種類は様々だ。そして、几帳面にも分類して並べてあるのだ。クローゼットにはそれなりに整った衣装がかけられている。派手なデザインでもないが、かっちりとしていてフォーマルな席でも使用できそうな上品なものが多い。こういった所持品を見れば彼が名家の出である事はわかってしまうだろう。顔立ちはどちらかというと知性が勝ってしまっていたが、整っていた。
ドンドンと乱暴にドアを叩く音がする。
「おい!フィス!いないのか?」
フィスは眉を寄せた。できればあまり関わりたくない相手の声だ。だが、無視をするわけにもいかない。
「何の用ですか?」
仕方なくドアを開ける。視線は大分、下に向けねばならない。
「俺、伝言頼まれたんだ。グレアム先生がお前の事呼んできてくれって」
にっこりとそいつは笑った。そして、手を差し出した。
「情報提供料、3R(ロージー)な」
「――申し訳ないが、そんなはした金は持ち合わせていなくてね」
「…冗談に決まってるだろ?お前、本当つまんない男だな」
猫のような大きな目をした少年は上目遣いでフィスの目を覗きこんだ。
「つまらなくて結構。それよりそこをどいてくれないか?いくら小さい君でもドアの前を占拠されては邪魔だ」
そう口にした瞬間、思いっきり足を踏まれる。
「バーカ!身体的欠陥を指摘するなんて低レベルだぞ!そんなんだから一度も俺にテストで勝てねーんだよ!」
背の低い少年はそう言うと廊下を走って行ってしまった。
(…どうしてあんなヤツに勝てないのか――我ながら不思議で仕方がないな…)
フィスは自分を呼んでくるように言ったグレアム先生の所に向かった。グレアム=カーティスはかつてフィスの故郷であるサフェイロで最年少の枢機卿だった人物で、専攻が《ハート》――神官系であるフィスにとっては尊敬に値する人物である。
「フィス=セイグラムくんだね。今度、3年生になる――」
「はい。何のご用でしょうか?」
「うん、実はね。君は同室がまだ決まっていなかったね?」
「はい」
フィスは最高額の寮費を納めなければならない部屋を希望していた。それを希望するのはごく限られたものしか居ない。だから、あぶれてしまったのだ。(あぶれたからといって部屋のレベルを下げる気は全くなかった。)
「その同室になる相手なんだが、これから紹介する編入生と生活を共にしては貰えないだろうか?」
「編入生…ですか?」
「あぁ、少々事情があって…他の生徒と同様に扱うのは難しくてね。君に目付け役を引き受けてもらいたい」
「目付け役を?」
(こんな回りくどい事をするくらいだ、もしかするとかなりのVIPなのか?)
フィスはそう考えた。だが、この学園には王子も居れば王女もいる。それだけでは理由にならない。
「セイフォン、こちらへ…」
グレアムが奥のドアを開ける。そのドアの向こうから現れたのは、この世の者とは思えない美しい人物だった。
「セイフォン、挨拶を」
「セイフォン=ルヴィオールという。宜しく頼む」
手を差し出し、柔らかに微笑む。アラバスターの肌に漆黒の髪、色合いの違う紫の瞳は不思議な光を湛えている。
「フィス=セイグラムです…こちらこそお会いできて光栄です」
口を突いて勝手に言葉が零れる。普段なら初対面の相手のアラを探して憎まれ口を叩いたりするのだが、セイフォンに対してはそんな気持ちは全く起きなかった。いっそ褒め称え、絶賛したいぐらいだった。
「彼を見て、どう思う?」
「――とても…とても美しい人だと…」
敢えて簡潔に評した。するとグレアムは満足そうな表情をする。この態度が正解だったのだとフィスは思う。
「そうだろう?彼の持つ能力の一つに魅了体質という厄介なものがあってね。男女区別なく彼に好意を抱くようになっている。だから、同室になる相手には充分な配慮が必要なのです。君ならその点において問題がない」
フィスは怪訝そうな顔をした。
「君が進級時に書いた論文を読ませてもらったよ。あれは今後の進路、専攻を意識して書くように定められたものだ。君は神職を希望していた。だが、その割に信仰心が薄いね。理性が勝っている。ああ、これは褒めているんだ。なまじ信仰心が強いと、物事を冷静に判断できなくなる者も中には居るからね。セイフォンはそういう人物からは崇拝の対象とされてしまう恐れがあるからね」
「――成る程。わかりました。お引き受けしましょう」
理由を聞いて納得した。
神職を目指す者が道を外れてはいけない――初めの枷。
冷静な判断ができる理性――二つ目の枷。
(二重に心を律しろという事か…)
フィスがふと顔を上げるとセイフォンが見つめていた。
「銀色の目。綺麗だな」
瞳を細めて笑う。瞬間、胸が早鐘を打ったように騒ぎ出す。
「どうも…」
「私は気に入ったぞ。これから私の世話はお前に任そう」
「――はぁっ?」
フィスは思わず声をあげてしまった。
「命令だ。お前に私の世話を申し渡す」
強い視線で見上げられると、理性が融けて消えて無くなってしまいそうだ。それでも、フィスは抵抗を試みた。
「自分の事は御自分でできるようになっていただきます!」
「…そうか。わかった。それなら宜しく指導してくれ」
今度は全開の笑顔。
(わ、私はそういう嗜好の持ち主じゃないぞ!私の理想は姉上!姉上だ!ちょっと可愛いかもなんて…いや、かなり?相当?違う違う、そうじゃない!これは尊敬するグレアム先生から与えられた任務なんだ!決してやましい事など――)
フィスはしばし沈黙した後、口を開いた。
「わかりました。厳しく指導していくのでそのおつもりで」
「あぁ」
こうして――フィスの面目は保たれた。この学園に入学して以来、こんな風に取り乱しそうになる事なんてなかった。
――今までは全てが色褪せした、単調な毎日。
「フィス。私の事はセイフォンと呼んでくれて構わぬぞ」
「分かりました、セイフォン」
寮へ案内する道すがら、セイフォンを観察する。好奇心が強いのか何にでも興味を示す。途中、エンブレムのAが使用する邸宅の横を通った。《クローバー》Aのシオン=リュークの住む『四葉亭』の周囲はシロツメグサが生い茂っている。
「フィス。この花は何と言うのだ?」
「シロツメグサですよ。クローバーとも言います」
「そうか。良く見ると葉っぱがクローバーの形をしているな」
「ほとんどは三つ葉なのですが、稀に四葉のものがあるのです。それを見付けると幸運になると信じられています」
「成る程…」
セイフォンの目がきょろきょろ動く。
「まさか、探すつもりでは…?」
「いやっ、そんなつもりはないぞ。今日は…」
だが、確実に探すつもりがあるらしい。
「ならば歩いてください。寮はもう少し先なのですから」
シュンとしながらもフィスの後を付いて来るセイフォン。時々、ひどく子供に見える。
(シロツメグサに興味を示されるとは思わなかったな。だが、私も昔はよく四つ葉を探したな…その時は姉上は花冠を作って私にプレゼントしてくれた…)
故郷の姉との幼い日の想い出を思い浮かべていたフィスだったが、何故か花冠を渡す自分と嬉しそうにそれを頭に載せるセイフォンの姿に摩り替わった。
(なっ…何故だ。何故そうなる。私は…私は…)
グルグルと思考が回り始めたフィス。一方、セイフォンは、フィス本人は顔に出ていないつもりの百面相にひたすら見入っていた。
なかなか面白い男だな…などと思われている事にフィスは気付いていない。
(だが――セイフォンが花冠を被って微笑む姿はきっと、とても美しい景色なのだろうな…)
鮮やかなその景色に心を奪われないように。
認めた瞬間、二度と見る事は叶わない世界。
色褪せた日常に彩りを与えてくれたのは、とても美しい人。
貴方の存在するこの世界、美しい世界を私は見ていたいのだ。
はい、『本編その3』始動ですよ。
『その1』は会報にて、『その2』はじきにUPします。
フィスくんはRATTU先輩の作られたキャラです。
イメージと合ってますかね?
多分、合ってないよ…。
この二人の関係は主従というには薄い信頼関係ですし、友情というには義務的でどうなんでしょう?